2019/08/29 05:56

落花生は、アメリカではピーナッツ、イギリスではグラウンド・ナッツ、中国や台湾では花生と言われています。
アフリカのザンビアやコンゴ共和国、タンザニア、ボツニアではベンバ語を話しますが、ベンバ語では「インバララ」といいます。

英語名をベンバ語風にアレンジした名前ではなくベンバ語オリジナルの名前があります。
これはベンバ語圏がイギリスの植民地だった時代よりも以前から、落花生はこの地で栽培されてきたことの証明です。

落花生の原産地は南米大陸と言われています。
南米ではなんと紀元前から食用として栽培されてきたそうです。

その落花生が南米大陸からアフリカ大陸に渡ってきたのは、植民地時代よりも以前の16世紀、奴隷貿易の時代のことです。
当時、西アフリカから南米へ黒人奴隷を輸出していたポルトガルが、南米から西アフリカへ落花生を持ち帰りました。

やがて落花生は西アフリカの海岸からアフリカ大陸全土に普及していきました。
かつて奴隷貿易の拠点となった西アフリカのセネガルやガーナ、ナイジェリアは、
今でも落花生の主要生産国になっています。

奴隷貿易が終焉を迎えてから、南米から渡ってきた落花生はアフリカの人々を苦しめました。
フランスは植民地として支配し始めたセネガルで落花生の栽培を強制したのです。
油脂分が豊富な落花生からとれる工業油、食用油に目をつけた為です。

当時ヨーロッパの国々は植民地であるアフリカの人々に人頭税を課したのです。
人頭税というのは納税能力の有無に関わらず人間1人に対して一律に課される税金で、ヨーロッパの貨幣で支払わなければなりません。
だからアフリカの農民は、ヨーロッパ人が買ってくれる換金作物を作らざるを得なりました。
それまで小規模ながら多様な作物を栽培していたアフリカの畑は、こうして換金作物単一栽培の大規模なプランテーションへと変わっていきました。
そして単一作物栽培の常、不作の年には貧困と飢餓が深刻化した。
しかし皮肉なことに、フランスから独立したセネガルでは今、落花生は国の重要な輸出品目になっている。
奴隷貿易時代、植民地時代を経て、落花生の栽培はアフリカ大陸に拡がっていったのです。

 土から収穫したばかりの落花生のサヤを開くと、淡い紫色をしたかわいらしい種子が入っている。
 ザンビアでは種子を生でも食べる。調理したものよりも少し渋みがあるけれど、土の香りを嗅ぎながら食べる新鮮な落花生には、独特の土の風味とみずみずしさがある。
 生食以外では日本と同じように、茹でたり炒ったりしておやつがわりに食べたりもする。落花生は栄養価もカロリーも高いので、小腹が空いたときにつまむのにちょうどいい。
 保存用に乾燥させた落花生は、イベンデとウムインシと呼ばれるすり鉢とすりこぎで潰し、パウダー状にする。この落花生パウダーを葉もの野菜にからめて煮込むと、イフィサシと呼ばれる伝統料理になる。
 「アフリカン・ポローニ」とも呼ばれるチカンダ(チカンダという植物の粉を練った料理)の主原料としても、落花生は欠かせない。

 かつてアフリカの人々を苦しめた落花生は今、アフリカの日々の食卓になくてはならない食材になっている。